Wednesday, March 06, 2013

市民ゲリラ?「菅直人」の功罪。

「東電、新たなテレビ会議の映像公開 作業員の前で吉田所長が涙」

東京電力は6日午後、東日本大震災の発生から1カ月間に行われたテレビ会議の映像を新たに公開した。作業員の前で涙を見せる当時の吉田所長など、過酷な現場の様子が残されていた。東日本大震災から1カ月たった2011年4月11日にささげられた黙とう。6日、東京電力が新たに公開した震災発生から1カ月後までのテレビ会議映像には、当時、事故の収束にあたっていた吉田昌郎所長(当時)らの苦悩や、混乱する現場の様子が残されていた。

東日本大震災から5日がたった2011年3月16日。福島第1原発の吉田所長は、テレビ会議で作業員たちの体力が限界にきていることを訴えた。 吉田所長(当時)は16日正午ごろ、テレビ会議で「なにせ、すみません。ここの現地本部、もう6日間、徹夜の人間だけでやってますので。ぜひとも、本店の人的な支援をお願いしたいと思います」と述べた。このとき現場では、水位が低下した使用済み燃料プールに注水することが急務とされていた。

しかし、17日午前8時ごろ、吉田所長(当時)は「え? 今、あの...。おっしゃっている意味がちっともわからないんだけれども。手順変わったってことですか?」と述べた。これに対し、防衛省は「ええ。今、手順が変わったのではないかという情報に接しまして」と述べ、細野補佐官(当時)は「吉田さん、現場のご意見よくわかりましたので。それを受けて調整してみますので、ちょっとまってください」と述べた。

準備が整っている地上からの放水を始めたい吉田所長に対し、政府側は突如、自衛隊のヘリコプターによる上空からの放水を優先するよう要望してきた。吉田所長の意向を受け、当時の細野豪志補佐官が、調整のため官邸に向かった。しかし、その30分後、防衛省はテレビ会議で「今の予定では、9時30分に第1投。大型ヘリ2機をもちまして、上から空中の消火(放水)を予定しております」と述べ、細野補佐官(当時)は「現場には、大変ご迷惑をおかけすることは、おわび申し上げます。菅首相、そして北沢防衛相を含めて、朝、緊急協議をした結果でございます」と述べた。こうした、現場の意向を無視したような政府の対応に、困惑する吉田所長(当時)。また、別の場面では、放水の手順などを自衛隊に伝えていなかった本店に対し、不満をぶつけることもあった。

吉田所長(当時)は16日午後2時ごろ、「ただ水入れりゃいいと思ってたのかよ。周りでわれわれ見てるんだぜ。それでお前爆発したら、また死んじゃうんだぜ」と語った。

過酷を極める最前線の現場。

そうした中、吉田所長(当時)は、震災から9日がたった3月20日、突然、「すみません、わたしかなり頭が...。目まいがしてきたので、指揮権を代わります」と切り出した。事故の収束に向け、極限状態に追い込まれていた吉田所長(当時)。7時間後には、再び現場に戻ったが、さらにその5日後、涙ながらに作業員に、「わたしはちょうど、2週間たってですね、かなり肉体的にも、かなりガタがきているという状態になっています。一度、すみません、一度、東京に帰らせていただく。本当にみなさんお疲れで、2週間ずっと帰ってらっしゃらない方もたくさんいる中で、わたしは非常にじくじたる思いですけれども、本当に大変な中で、休みもとらずに頑張ってきた皆さんに、申し訳ないんだけれども、申し訳ない」と語った。<以上、コピペ>

・・・・何か?悲しい気持ちだよね。・・・読むたび、振り返るたび、あの時のポンコツ政権「菅直人」の馬鹿さ加減、ダメさ加減だけが・・フラッシュバックしてきます。・・・所詮、市民活動家崩れが、日本国の総理大臣になる事が、間違ってたんですね。立ち位置が余りに違いすぎた?(まさに市民ゲリラ?)・・・それは、彼「菅直人」が一番分かってたはずなんだけどね。・・・・

それと、我が福島の「民報新聞」に【大震災から2年】できること、できないこと(3月6日)菊池哲朗の世相診断より<「当時の菅直人首相の下できた復興構想会議が「原発事故を除いて復興構想をつくってくれ」との要請を受けた事実、つまり無責任な発想や結果、地震津波被害の跡地の復興で、被害前よりも素晴らしい耐震の街づくりが出来上がる夢のような絵を描いたことが、そもそもの大間違いのもとだった気がする。」>が、心に残りました。

PS/吉田所長、お疲れさまでした。(同じ名字ということで、「吉田一族」の誇りですよ!貴方は!)

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