Saturday, September 29, 2012

村上春樹のエッセー

■9月28日朝日新聞に掲載された村上春樹のエッセー


村上氏のエッセーはアジア全体に伝えるメッセージだ。しかしエッセーの内容は、最近の領土問題で 急速に右傾化している日本国内に向けたものだ。以下はエッセーの要約。 

 <東アジア地域における最も喜ばしい達成のひとつは、そこに固有の「文化圏」が形成されてきたことだ。 私の経験に基づいて言えば、「ここに来るまでの道のりは長かった」ということになる。 

 以前の状況はそれほど劣悪だった。どれくらいひどかったか、ここでは具体的事実には触れないが、 最近では環境は著しく改善された。いま「東アジア文化圏」は豊かな、安定したマーケットとして着実に成熟を遂げつつある。 音楽や文学や映画やテレビ番組が、基本的には自由に等価に交換され、多くの数の人々に楽しまれている。 

 これはまことに素晴らしい成果というべきだ。 

 たとえば韓国のテレビドラマがヒットし、日本人は韓国の文化に対して以前よりずっと親しみを抱くようになった。 韓国語を学習する人の数も急激に増えた。 

 それと交換的にというか、たとえば僕がアメリカの大学にいるときには、多くの韓国人・中国人留学生がオフィスを訪れてくれたものだ。 彼らは驚くほど熱心に僕の本を読んでくれて、我々の間には多くの語り合うべきことがあった。このような好ましい状況を出現させるために、 長い歳月にわたり多くの人々が心血を注いできた。

 今回の尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題や、あるいは竹島(独島の日本名)問題が、 そのような地道な達成を大きく破壊してしまうことを、一人のアジアの作家として、また一人の日本人として、僕は恐れる。 国境線というものが存在する以上、残念ながら領土問題は避けて通れないイシューである。 しかしそれは実務的に解決可能な案件であるはずだし、また実務的に解決可能な案件でなくてはならないと考えている。 領土問題が実務課題であることを超えて、「国民感情」の領域に踏み込んでくると、それは出口のない、危険な状況を出現させることになる。 

 それは安酒の酔いに似ている。安酒はほんの数杯で人を酔っ払わせ、頭に血を上らせる。 人々の声は大きくなり、その行動は粗暴になる。論理は単純化され、自己反復的になる。

しかし賑やかに騒いだあと、夜が明けてみれば、あとに残るのはいやな頭痛だけだ。 そのような安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽るタイプの政治家や論客に対して、我々は注意深くならなくてはならない。

 1930年代にアドルフ・ヒトラーが政権の基礎を固めたのも、第一次大戦によって失われた領土の回復を一貫して その政策の根幹に置いたからだった。それがどのような結果をもたらしたか、我々は知っている。 

 政治家や論客は威勢のよい言葉を並べて人々を煽るだけですむが、実際に傷つくのは現場に立たされた個々の人間なのだ。 安酒の酔いはいつか覚める。しかし魂が行き来する道筋を塞いでしまってはならない。 

 その道筋を作るために、多くの人々が長い歳月をかけ、血の滲むような努力を重ねてきたのだ。 そしてそれはこれからも、何があろうと維持し続けなくてはならない大事な道筋なのだ。> 

 2009年にイスラエルでおこなったエルサレム賞受賞スピーチの際には、「高く堅固な壁と卵があって、 卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」などと高い壁を国家権力、 卵を市民にたとえて自らの姿勢を表し、話題になった。

 ・・・もう一人の?「作家」村上さんのコメントも聞いてみたいものですが・・・

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