といっても、それは現在の事故跡地の話ではありません。この計画は、除染が十分に進み、一般市民が防護服なしに数百メートルの距離まで安全に近づけるようになった、事故から25年を経た未来の跡地を想定しています。2036年の福島第一原発跡地に、どのようにひとを集め、どのような施設を作り、なにを展示しなにを伝えるべきなのか、それをいまから検討しよう、そしてそのビジョンを中心に被災地の復興を考えようというのが、計画の主旨です。
2012年の秋、株式会社ゲンロン代表の東浩紀の呼びかけのもと、主旨に賛同する経営者、社会学者、ジャーナリスト、建築家、美術家らが集まり、領域横断的なチームを結成しました。今後、そのチームを中心に、官民学の多方面、および被災地の方々と連携しつつ、書籍や展覧会のかたちで成果が発表されていく予定です。最終的には、民間発のユニークな復興案のひとつとして、現実の復興計画に活かされることを目的としています。
事故と汚染の記憶が新しいいまの時点では、原発事故の観光地化などありえない、不謹慎だと感じられるかたもいるかもしれません。
しかし、未来は必ずやって来ます。そして25年は短くない時間です。2011年のちょうど25年前、1986年に事故を起こしたチェルノブイリは、いまでは観光客を集め始めています。
人間は好奇心の生き物です。福島第一原発事故の跡地も、時が経ち、除染が進み、悲劇の記憶が薄れれば、人々の好奇心の対象となる日が必ず来ます。けれども、この事故の大きさと、そのような悲劇に行き着いた戦後日本社会の愚かさは、決して忘れてはならない。それは「過ち」として、きちんと未来に伝え、そのうえで新しい日本を作っていかなければならない。だからこそ、私たちは、未来のあるときに必ずやってくるであろう「観光客」のため、どのような施設を作ればいいのか、どのように「フクシマ」の悲劇を伝えればよいのか、あらかじめ考えておくべきだと考えるのです。
広島には原爆ドームがあります。しかし、あのドームもまた、のちに世界遺産に認定されることになるとは、1945年の日本人はだれも想像していませんでした。実際にドームは原爆投下の悲惨な記憶を想起させるから撤去してほしいのだと、そういった市民の意見も強かったのです。しかし、2012年のいま、あの広島のドームが撤去されたほうがよかったのだと、悲劇の記憶が無かったことにされたほうがよかったのだと、だれが思うでしょうか。私たちは、そのような「未来」を前提として、本当の復興を構想したいと考えています。
福島は、日本は、「フクシマ」を、あの過ちを引き受けることなしに前に進むことはできません。福島第一原発観光地化計画は、その「責任」を引き受けるためのひとつの提案であるはずです。
いま日本の政府は、まったくそのようなことを考えていません。だから私たちは、自分たちで、福島の未来について考えることにいたしました。
みなさまのご理解、ご支援をお待ちしております。
福島第一観光地化計画発起人
東浩紀
2012年10月28
ニコニコチャンネルで計画進行中・・・・・気になるところです。
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